ホモファッションユートピア

ホモとか服とかコスメについて書く予定です、、

一人卒業旅行

3/29と30の2日間、大阪に旅行に行った。正確にいうと京都も3時間ほど廻ったが、9割は大阪にいた。

大阪に行くのは小学校低学年ぶりで、その時の記憶もほとんどなかったので、初めて行くのに近かった。


そんな大阪に、一人で行った。一人で行った理由は、友達がいないから。


周りの同級生はヨーロッパやアジア、思い思いの国に飛び、仲良し同士社会人になるまでの執行猶予を存分に満喫していた。それを見ていて、単純に羨ましい気持ちと、学生の貧乏旅行で海外って楽しめるものなのかなぁという黒い気持ちがあった。




1日目は、12時に大阪に着き、梅田周辺で大阪グルメを堪能し、15時にホテルにチェックインして、その後京都の祇園伏見稲荷神社などを観光、22時ごろホテルに戻った。大阪グルメを堪能したと書いたが、実際はたこ焼きしか食べていない。しかも私の口内は熱いものに弱いので、火傷してしまいロクに味を楽しめなかった。それでも、本場のたこ焼きのトロトロ感や風味が某Gだこを圧倒していることは分かった。


私はその日、相当疲れていてホテルに着いすぐシャワーを浴びて23時の時点で既に意識を失っていたのだが、寝る前の数十分の間に考えていたことがある。そのときの頭の中を書きます。まとまりがない文章ですがそれでもよければ。




私は暇だとすぐに、人間の価値は何で決まるのかについて考える癖がある。それは多分、自分に自信がないからだと思う。それと、死な(ね)ない理由を探しているから。




人の価値を決める方法はさまざまある、例えば「いくらお金を稼げるか(生み出すか)」、「美貌、若さ」、「突出した才能、一つのことに対する専門性の高さ」等



これらのうち、私に今あるのは若さしかない。でも、それもあと5年もすれば価値を失う。



価値を求めてSNSで叫び続けるのはもうやめた方がいいのではないか。なぜなら、若さを使って稼いだいいね!と失った時間は、とてもじゃないけど釣り合わないから。



価値を作り出すには他者が必要だ。

価値は相対的なところにのみ存在する。



自分に自信を持つためには、ひとりで素人哲学をこねくり回しているより、誰かに認められるのが手っ取り早い。一人の世界で掴んだ価値は相対的な価値に比べて不安定だ。



社会人になって価値を生み出せるかとても不安だし、自分は人より劣っているのでついていくのがやっとかもしれない。それでも、会社に私がいたことによって価値を生み出したいし採用して良かったと人事に思ってもらえる人材に今からでもならなければいけない。認められたいのに認められない行動を勧んでするのはとても惨めだ。それにダサい。仕事のできる大人は、仕事は楽しいよ!君も仕事楽しんでね!って言ってくる。 本当に仕事楽しいの?平日の昼間にビール飲んでる人間に勝てる?本当は働きたくないんじゃないの?って思ったけど堪えた。 しかし、彼は次にこう言った。今10億もらっても仕事は続けると思う。だって仕事してると自分の体を無理やりにでも引っ張って色んな国に連れて行って、色んな人に会わせてくれるんだ。仕事をしてないと家で引きこもって株価見てるだけになっちゃうしね。



価値は相対的なものだ。



なんとなく、自分が上に位置する相対と下に位置する相対両方を持っていれば落ち込む事もダラける事もなく暮らせるのかもしれないと思った。そう簡単にはいかないかもしれないけど。



新幹線の中で機能を思い出しながらもっかい考えたけど、うまくまとめられなかった。読者に委ねます。





今回の旅行、行き帰りを新幹線にした。資本主義のおかげで、私たちはお金を払えば快適な空間を手にすることができる。

秩序のある時代を生きてることに感謝しないといけないし、それが当たり前だと思ってはいけない。



資本主義とテロは似ている。



資本主義は、一部のルールを理解し、支配する賢い人たちに富が集中するようにできてる。一部の勝者と多数の敗者という構図(敗者と気付いていない人も多い)


テロも、一部の人たちが犯行を行い、恐怖を拡散させる。


両者とも、トップダウン型のアプローチである。一部の先導者(扇動者)の指示(行動)が、社会に大きな影響を及ぼす。


さらに両者は密接に結びついていると思う。

宗教じゃなくて資本主義がテロを引き起こしてる。




すっごい色んな事を旅行中に考えた。全部は思い出せない。

一人旅ではないとこういう考えは浮かばないと思う。 一人の時間は大事。



私は物>形に残らない思い出、という考えの世間一般からすると貧しい感性の持ち主であるが、そんな私でも今回の旅行は、自分自身と向き合えたという意味で、価値があったと思う。



読んでくれてありがとう。

気の持ちようと人間性

この記事は、9割方自戒の意味を込めて書いている。

 

 

先日、社会人の方(以下T氏)と映画を見に行った。

T氏は、一言で言うとめっちゃモテるし仕事もできるイケイケな方です。

映画は「マネーショート」を観ました。リーマンショックが起こることを予測したイケてるビジネスマンたちの話。上映前、映画館がキモいオタクで混んでいて、T氏に「なんでこんなに混んでるんだろう?」と聞かれたが、「ガールズアンドパンツァー」という女子高生と戦車のアニメ映画のせいです。と答える勇気は私にはなかった。(「ちはやふる」のせいですかね?、とすっとぼけた)

 

映画のあとは近くの飲み屋へ行き、焼き鳥やおつまみを食べながら、映画の感想や、昨今のニュース、人生等について話した。

そこで出た話が琴線に触れたので書き記しておく。

 

1時間近く話していて一通り盛り上がった中、今ならいけると思い、ずっと聞きたかったことを聞いた。

 

「気分が沈んでしまい、1週間くらい何も手につかない時があるんですけど、Tさんはそういう時どうしています?」

 

この質問をした次の瞬間、T氏はわたしの手を掴み、言った。(長いけど、記録として書いておきたいから書きます。)

 

「僕の手には少し皺が入っていていて汚いけど、君の手はまっさらできれいな状態だよね。でもね、肌の細胞を細かく見ると、どちらの細胞も同じように常に四方八方に目まぐるしく動いているんだ。物事も同じで、この世にあるすべての物事、森羅万象は常に変化しているっていうことを覚えておいて。ニュースでやってる出生率の低下とか、女性の雇用増加とか、まあ確かにデータとしてはそうなんだろうけど、そういうデータよりも物事は常に先を行っているから。 それでね、僕が言いたいのは、そういうふうに物事は常に変化しているから、そんな変化の中で一個人の心の浮き沈みがあるのは当然っていうこと。ない方がおかしいでしょ?だから僕は気にしないよ。 あとねえ、結婚相手には東大卒とか年収何千万とか以外に、そういう変化に対する対応力がある人を選んだ方がいいよ、うつ病になったら元も子もないから。」

 

 

この言葉で私はすごく楽になったし、数日続いていた沈んだ気持ちの原因が分かったような気がした。(正確に言うと、原因なんてないことに気がつきました)

 

まだ私は、T氏のような境地には達していないけど、できる限り広い視野を持って気を静めないようにしようとその日心に誓った。そういう時間ってロスタイムだと思うから。

 

4月から就職し、社会人になる自分にとって、今の時期に自分と正反対の人生を歩んできている人間に会えて、このような言葉を聞けたことは、大きな糧になった(というよりも、これからなっていく)と感じた。

 

 

もう一つ彼から学んだことがある。人間性という内面の魅力は、容姿とは違い、いくつになっても衰えることがなく、むしろ歳を重ねるにつれて増幅していくものだということだ。

 

ツイッターでは、わたしの周りだけかもしれないが、毎日のように女の子たちが自撮り(自分撮り)を投稿し、自分の容姿に対する周りの評価を求めている。

 

わたしは自撮りには2種類あると思っている。

「私の顔、かわいいでしょ?」という、自分の可愛さを確認するようなタイプの自撮りと、「私の顔どう思う?評価してください」という、自分の容姿に自信が持てない子が他者にかわいいと言ってもらうことで安心したいというタイプの自撮りである。

 

両者は、「客観性を得ることで容姿に自信を持ちたい」という点で共通している。

 

 

わたしも時々ツイッターに自撮りを挙げてしまうが、一つ言いたい。

 

「自信を持ちたいなら、外見の他に内面も同時進行で磨いてください。」

 

以前わたしはこのブログで「人は容姿が9割は救い」と書いたが、それは他人に与える印象に限った話である。

 

自分が自分を認めてあげるためには、容姿だけでは足りないと思う。

 

容姿至上主義で生きていると、容姿が崩れた時に自我崩壊を招く恐れがある。

それを防ぐためには内面も磨く必要があると思います。保険として。

社会に出るのこわい

前回の更新からちょっと間が空いてしまいました。
私はなんとか元気に毎日を無駄に過ごしています。みなさんはどうですか。

今回はわりと内面をさらけ出す記事なので、私に興味がある人にとっては面白いし興味ない人にとってはクソつまらないと思います。やおいって感じ。


私事ですが、2月22日に22歳になりました。

友達や人事から2並びですごい!おめでたいねえ、なんて言ってもらえたのですが、毎年誕生日が来るたびに猫の日だねって散々言われているのでそんなこともう自分としてはどうでもいいって感じです。

でも小学校1年くらいまでは猫の日が誕生日ってことを少し誇りに思っていました。
その理由は、「リラックマ」や「たれぱんだ」を輩出さているサンエックスの「にゃんにゃんにゃんこ」ってキャラが大好きだったから。下敷きとかシールとか集めてました。
小学校から人生やり直して〜〜〜、やり直したいもの。あ、公立の小中学校には嫌な思い出しかないので私立がいいです。マイルドヤンキー、無理なもの。地元で似合わないタバコ吸いまくってさっさと死ね。


今後結婚する友達が続々と出てくるのかなあ。嫌だなあ。友達いないけど。Facebookは極力見ないようにしてます。心が無くなるから。オタクの結婚報告とか無理すぎる。


正直、二十歳以降誕生日を純粋に喜べなくなっているのでそんな自分も嫌です。
年をとることを恐れずに生きたいですね。
10代の頃は30で死にたいと思ってたけど、今は40で死にたいって思ってるからこのままずるずる伸びて結局長生きしちゃいそう。認知症になったら安楽死させて。今朝歯医者でガチ認知症のお婆さん目撃して鬱病になった。オタクの介護とかする方がかわいそうだから自分は安楽死させてもらいます...。

誕生日の夜は暇だったしちょっとだけセンチメンタルな気持ちになりました。
これからの1年、大学というモラトリアム終了で社会に放り出されて上手くやっていけるだろうかとか、身体的なコンプレックスについて深く考えて落ち込んだり...。

オードリー若林風に言うと「ネガティブの穴」に入ってしまったんですね。
多くの人が言っているけど、結局、暇だから悩みが生まれるんですよね。

単位を取って卒論も書き上げて学生生活がひと段落したあとの社会人になるまでの2ヶ月弱のモラトリアム期間。
極力暇を作らないようにしてネガティブの穴には入らないようにしようと思います。

社会に対する不安感は忘れて楽しく過ごそ


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ADDICTION 064 Chinoiserie



朱、。


小さい頃、私は赤が好きではありませんでした。

わたしが小学生の頃

今のようにピンクや水色のようなカラフルなランドセルは主流ではなく、ランドセルの色の相場は男の子は黒、女の子は赤と決まっていました。


そのことが、当時、子供ながらに、何となく、性を区別している感じがして、赤が嫌いになってしまったんだと思います。



本当は嫌だったけど6年間コムサの赤のランドセルを背負い続けました。


天邪鬼な性格だったので、ランドセル以外の服や文房具は、赤やピンクは選ばず、意識的に青や黒を選ぶようにしていました。


小学校のときナルミヤという子供服のブランドがクラスで流行っていたのですが、その中でも私は、青を基調とした服がメインのポンポネット1択でした。(エンジェルブルーも青がメインだったけど少しリア充感が強かった気がする)


そんな私が赤を好きになったのは、大学2年の冬。


ルミネ新宿のBshopに売っていたSCOTTISH TRADITIONの赤いマフラーに心を奪われました。


そのマフラーは赤と青と緑が4:4:2くらいの割合のタータンチェック柄でした。

素材はウールだったのですが、とっても綺麗に赤色が出ていて赤嫌いなど忘れて試着、購入に至りました。


この時、私は赤のことを、性別を分ける記号などではなく、きちんと一つの色として見ることができたと感じました。


私は赤が嫌いではありませんでした。

今まで勝手に、色の持つ記号に不快感を示していたのでした。



そんな素敵なマフラーですが、先月初詣に行った時に失くしてしまいました。

嗚呼、どこに行ってしまったの。


読んだ本(2016年1月)

カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」

吉濱ツトム「隠れアスペルガーという才能」

若林正恭「社会人学部引きこもり学科卒業見込み」


3冊ともとてもおもしろかったです。

そつろんに追われてあまり読めなかったので2月は10冊目標に読みたいとおもいます。(小並感)

うつくしいひとのふく

こんばんは。華金ですね。

いかがお過ごしでしょうか。

 

今回は、はてなブログらしくお題に答えてみたいと思います。

 

今週のお題「お気に入りの一着」

 

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私のお気に入りの一着は、beautiful peopleライダースジャケットです。

 

去年の10月に買ったもので、手持ちの服の中では比較的新しい方に分類されますが、とても思い出深い一着です。

 

この服に出会うまでの経緯についてご説明しましょう。

 

この服の存在を知ったのは、2014年の12月。

あるお方(以下A氏)と、新宿のルミネで服を物色していた時

たまたま手に取っていたライダースジャケットを見て言われた、

「◯◯さんは絶対ライダースが似合うと思うなぁ」という一言がきっかけでした。

 

A氏についてはちょっとこのブログには詳しく書けないのですが、間違いなく私の人生に影響を与えた人物トップ10にランクインするような人物です。

容貌は、大沢たかお綾野剛を足して割ったような感じをイメージしてもらえるといいかと。あととってもお洒落で服オタクです。


 

当時の私は、その人のことを宗教的に信仰していたので、帰宅してすぐルミネの通販サイトのページを目で貪るように閲覧し、膨大な服の中から、A氏の言っていたライダースジャケットと同じものを探り当てました。

目当ての服を見つけ出した瞬間は達成感と同時に、その値段を見て虚無感に襲われました。(私が買った時は88000円、2016SSでは値上げして92000円くらいでした。)

 


当時はファッションに疎かったので知らなかったのですが、ドメスティックブランド(通称ドメブラ)と呼ばれる服ってビームスとかに売ってる服の5倍くらい平気でするんですよね。 

beautiful peopleというブランドもそうしたドメブラの中の一つでした。

今思えば良心的な価格のブランドなのですが、当時の自分にとってはとても手が出せないブランドだなぁ、と感じました。

 

この記事で初めてドメブラという単語を知り、興味を持った方は以下のサイトを見てみてください。こういった沼に嵌ってみるのもいい人生経験になるのではないかと。(財布の保証はいたしませんが)

ブランドをうまく活用しよう|F-TYPE

非ファッションヲタのためのファッション用語(入門) - あざなえるなわのごとし

 

その後、2回くらいこの服を見るためにルミネや伊勢丹新宿店に赴いたのですが、本当に素晴らしい服だと思いながらも、なかなか決心がつかずに半年以上の歳月が流れました。

 

ライダースとの出会いから半年ほど経った私は、A氏の影響もあり、既にアウター以外はコムデギャルソンの丸襟白ブラウスやYAECAのスカートなどといった他のドメブラのアイテムを持っていたのですが、それでも革のアウターを買う決心はつかずにいました。

迷っていた理由としては、金銭的な問題よりも精神的な問題として、自分がこの服と向き合えるのだろうか?といった葛藤の方が大きかったような気がします。

 

すぐ買っても良かったのですが、自分にとって特別な服だし何らかの節目に買いたい、と思い「就活で内定を貰えたら買う」と目標を決めました。


就活は、一言で言うと、アスペルガーなので苦労しました。


結局、内定が9月までかかり、初めて服と出会ってから約1年後の2015年9月に購入に至りました。


伊勢丹やルミネといった取扱店ではなく、beautiful people青山本店まで行き、購入しました。

そのせいで青山店から新作が出るたびDMが凄い来るんですけど、その後まだお店には行けてなくて申し訳ない気持ちになります。伊勢丹が便利すぎるのが悪いんですよね。あそこは服好きにとっては、ディズニーランドを超えるテーマパークだと思います。 


ライダースを着てA氏に会ったら、とても褒めてもらえて嬉しかったことを数時間前の出来事のように思い出せます。


A氏は世間的にはどう思われていようと、私にとっていつまでもあこがれの人であり、「本物」です。



ところで、就職活動の面接で「10年後会社でどうしていたいですか?」という質問をよくされたのですが、正直なところ5年後のことも考えられるほどの余裕がないんですよね。

アスペルガーだからか、今を生きるのに精一杯です。それに、あまり良くないのかもしれないですが、先のことを考えると余計健常との差が開いてしまう気がして。

何となくは考えていますけど、そのことについて深く考えだすと夜眠れなくなって生活が壊れて鬱病になります。

現在、健全な精神は健全な肉体に宿る説を信じて筋トレと食事制限でアスペルガー克服に挑戦中ですが。そのことについてはまた別の記事で書く予定です...。



少し暗い話になってしまいましたね。

話を戻すと、購入したライダースジャケットはとても自分の身体に馴染みました。

これは、シュリンクレザーという柔らかい革の性質と、サイズ感によるものの他に、服と私の間に物語があったということも関係していると思っています。


店員さんに、このライダースは手入れすれば10年くらい着られますよ、と言われたので大事に30まで着ようと思います。

そして、30からはサンローランのライダースが似合うような財力と知性を備えた大人の女性になっていたいなぁとぼんやり思っています。